十字架のえしかの世界

共に。さぁ、生きる。

十字架のえしか は が 相方さんが病い患いしている時に(今はおかげさまで、とっても元気!)書き遺していた無数の落書き(絵)を 僕、大澤がたまたま見つけて ひとつの画集にまとめたもの。(初めの半年は そのスケッチブックは絶対見せてくれなかったので何となく見せてくれるまでゆっくりゆっくり待ってみた 笑)。

そのひとつひとつに 僕が詩(曲)を BGMとして
作っては当てはめていった。いわば名前を付けていく作業だ。
余暇休暇として。太平洋に面した海沿いの町 伊豆 三浦 茨城 福島 宮城 岩手 青森 津軽 を歩いて旅をした時の 写真も 添えてある。
現代社会において 心の風邪は デフォルトで。同じ様な苦しみを抱えて 必死に生きている人たちが沢山いる。だから、このドタバタ家族奮闘劇で得た 前向きな経過を 少しでも分かち合いこ出来たらいいなと想う。
あの頃は丁度 東日本大震災、福島の原発事故が全く収束してない最中で。兎に角「家族を大事にしたい」って気持ちが強かった。今想えば不思議な原動力、行動力が働いた時期でも、あった様に思う。僕自身何か見えない力に背中を押された事は一度や二度ではなかったと記憶してる。
僕自身も、小さい頃から複雑な家庭環境で育った(義理の父は外国籍、父方の祖母も義理)。血の繋がりのない家族構成は 常に家の中に他人がいる訳やし、喧嘩も許されない間柄やったから。常に緊張、自分をガードしてなきゃいけなかった。

だから JDサリンジャー 太宰治 宮沢賢治 松本清張 夏目漱石 を読み漁り、ゴッホ エリックサティ ドビュッシー ラヴェル なんかの印象派音楽 / 絵画 に傾倒しては 自分の居場所を探した。育ちの複雑さを 「物語化」しようと 躍起になってた時期でもあったし。うん。そうでもしないと"若い"って結局全部は受け止めきれなかったからだろうなと思う。
大人として。親として。ひとりの男として。成長するために 自分のトラウマも 結局は乗り越えなきゃならない壁やって 感じ始めたのも この時期。
そんな成長期の あれこれを 一個に ぎゅぎゅぎゅっと 包装して ギフトとして ひとつにまとめたものが この十字架のえしか だ。
その全ては 苦しみを忘れて 希望ある未来に向かうためのものやったんだと思います。
それを青春と呼ばないなら
何と呼ぶんだろう?